中高生の頃の、多感な時期の僕に、もしマイクタイソンのようなパンチ力があったら・・・
きっとたくさんの人を傷つけてしまっていたのかも。
下手をすると、取り返しのつかないことを、しでかしてしまったかも。
やはり技というのは、心と共に育っていかないとってことなのでしょう。
にしてもマイクタイソンって引用が古すぎるかしら(苦笑)
自閉症の子供への療育プログラムとして有名なものに、TEACCH(ティーチ)プログラムってのがある。
最初にティーチの実践を見た時に、「これは違うんじゃない」って嫌な気持ちになったのを、今でもよく覚えている。
その時は、どうして嫌な気持ちになったのかわからなかった。
けど、今ならその理由がはっきりとわかる。
コミュニケーションを大きく二つに分けるとするならば・・・
「受信」そして「送信」ってことに。
人はどちらを先に学ぶのかと問われれば、僕は間違いなくこう答える。
「送信」だと。
僕に言わせれば赤ちゃんの泣き声は、立派な送信だ。
僕が最初に見たティーチプログラムの現場では、自閉症の当事者にまず徹底的に「受信」を教え込んでいた。
彼らの受信方法は、支援員が予め用意したスケジュールカードなどだ。
って言われてもイメージがつきにくいと思うので、まずこれをご覧ください。
こんな感じで一人ひとりの理解に合わせて、文字だったり、絵だったり、写真だったりで予定を伝える。
つまり「見通し」を持たせるわけだ。
ってな感じで言うと、っていうか動画の楽しい雰囲気も含めて、この支援方法って素晴らしいとお感じになったかもしれないが・・・
もちろん問題もある。
※ティーチプログラムに問題があるわけではない。
コミュニケーションのもうひとつの大きな柱である「送信」がないのだ。
「構造化という支援(2)」に続く・・・